をふの日記

毎日頭の中をお掃除するために書く日記

父の日

 

  自分のお店を持つという大きな夢が叶い、少しずつ認知されて軌道に乗せる2年半を超え、次なる動きをなんとなく探りはじめていた。

 

  先週から今週にかけて、なぜか立て続けに2人の人から子供のための絵画教室をやってほしいと言われた。2人は互いに知り合いではないけれど、どちらもともたまたまそういう話になった。ひとりは、お子さんの保育園でのトラブルの話から、もうひとりは、小さい頃にしていた習い事の話から。

 

  今まで誰かに絵画教室をやればいいなんて言われたことはなかった。急になぜ2人からそんなことを言われたんだろうと思いながら、そういう準備が自分にできたから流れがきたんだろう。むしろそうなることを知っていたのに忘れていただけだと腹に落ちた。

 

  いつもそうだけれど、何かをやると決めた瞬間に、もともとやるはずだったのに忘れていただけだったとようやく思い出す。人を好きになるときも同じ。この人がかけがえのない人だということを長い間忘れていただけだったと思い出す。

 

  紆余曲折の長さや複雑さはまちまちだけど、結局辿り着くところは決まっていると、だんだんわかってきたから動じない。未来が自分を迎えに来るペースが上がってきた。というより、過去も未来も現在も同時に存在しているっていうことを、ようやく体感しはじめているんだろう。

 

  絵画教室。イメージしてみたら、自分の心の奥底がジタバタするほどワクワクする。子供と一緒に自分もいろんなものを作ったり、お互いを丁寧に観察しながら仲良くなって、何を感じ、どんなことを考えているのか聞いたり伝えたりしたい。

  庭のある一軒家がいい。庭には犬や猫や豚やたくさんの虫がいる。子供たちが安心して自分の面白いを発見して、のびのび発揮できる場をつくる。子供も大人も犬も猫も豚も虫も並んで日向ぼっこをする。たまに太鼓を叩いたり、狂ったように踊ったり。台風の日には庭で雨に打たれてビショビショになったり。

 

  夏の夜には庭に白い布を張って、映画上映会をする。スイカ割りも花火も、ハロウィンもクリスマス会も、する。お泊まり会もしよう。怪談話の練習をしなければ。たくさんの子供たちと動物たちの寝息が重なる夜、すごくいいな。

 

  子供たちに色んなことを教えてもらったり教えたり、お互いを交換する場。早速、一緒にやりたい人に、絵画教室やろうと電話をした。それすごくいいね、やろう、と即答。最高!

 

  新しい夢ができて、また身体中に力が漲り始めた。ありありとイメージできることは、実現できる。粒子が集まり始めている。

 

  もうすぐ春分の日。宇宙の元旦の日。

  家中のものを一掃して、来たるべき元旦に向けて、身も心もたくさんのスペースを空ける。

 

  今朝は、とても優しい友人のお父さまが亡くなった。思考が何度もそのことに戻って頭の中が散らかった。みんな昔は子供だったし、みんないつか死ぬ。

 

  6月ではなく、春分の日を目前にした今日の方が父の日に相応しいと思った。子供も大人も犬も豚も虫も、生きている者たちの幸福は、生きている限り拡大していくし、それだけのために生きているから大丈夫。合掌。

 

 

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旧正月

 

 

  今年は例年より1日早く、2月2日が節分だった。ふつうは節分の翌日が立春だけれど、暦に詳しい方によると、今年も本当の立春は2月4日とのこと。では、間にある3日は?ということになる。

 

  今年の3日はというと、旧年とも新年とも、どちらともいえない「あわい」の日だそうだ。少し見通しのよくない霧の中にいるような日だから、あまり出かけたり新しいことをしたりせず、できれば自宅で大人しく過ごすと良いと教えていただいた。

 

   本当は珍しく仕事に余裕があったので、映画でも観るか美術館に出かけたかったのだけど、自宅で犬を膝に抱えながら大人しく本を読んで過ごした。犬は温かくて可愛く、欠伸をすると少しだけ鉄のような生臭いような香りがする。人間の欠伸はこんな香りではないから、人間の口と犬の口はそんなに違うものかと不思議に思う。

 

  2日の晩に豆まきをしたら、投げたそばから豆をすべて食べ尽くしてくれ、おかげさまで箒の出番がなくて済んだ。

  犬が物を食べているところを見ていると、鼻の真下に口がついているって、どう頑張っても匂いから逃げ場のない構造だなと思う。 人間で言ったら上唇が鼻みたいなものだ。食べる、と嗅ぐ、が同時すぎてきっと強烈な体感なんだろう。食べ物にぴったり鼻をつけて匂いを直に嗅ぎつつ同時に味わうなんて、刺激で脳みそがクラクラしそう。

  人間って味覚より嗅覚の方が強いと思うのだけど、犬は逆なのかしら。とにかくシュークリームなぞ食べ損じたら、鼻の穴も塞がっちゃうし大変だ。

 

 近所の寿司居酒屋の前に置いてある、数種類の魚が同居している水槽を眺めるのが好きなのだけれど、何が好きかって、魚の口をまじまじと見ることが好きだ。

  カワハギの小さい口に、ほんの少しだけ爪楊枝の先端か削った鉛筆の先を入れて上下に動かしてみたり、猫ザメの口を歯間ブラシでシャカシャカしてみたり、ハコフグさかなクンが被っているあの子)にいたっては、指を唇に押し当てるか、できればキスしてみたい。唇も舌も見た目にはすごくフカフカしていて頼りなく、感触が知りたいのだ。

 

  この間、友人とこの水槽の前を通って、何の気なしに「このハコフグとキスしてみたいんだ」と言ったらぎこちない空気が流れ、さらにぎこちない空気をなかったことにするような空気も流れたので初めて気づいたのだが、この気持ちはハコフグに対するセクハラかもしれない。ハコフグも水から引き上げられて人間にキスされるなんてイヤだよね。 

  でも『シェイプ・オブ・ウォーター』的な異種間の心の交流も全くないとも言い切れない。  ハコフグはどんな人が好きなんだろう?「キスとかしてこない人」。そうでしょうとも。

 

  そういえば、大人しく過ごすべし、と言われていたのに、昨晩は習い事に行ってきたな。どうしても行きたかったから行ったのだけど、行ってよかった。不思議なあわいの日に大好きな人たちに会えてよかった。そして何事もなくてよかった。

 

  ようやく今日から新しい年。おめでとう。

  素敵なことが沢山起こる年。すでに色んなことを予感しているというより知っているので、ドキドキしている。

 

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円周率の覚え方

 

  ポストに手紙が届いていた。

 

  差出人は、仕事でお世話になっている85歳のおじいさま。筆まめでよくお便りをくださるうえ、長年日記もつけておられる。先日自宅の整理をしていたら、30年ほど前の手帳を発見し、そこに円周率の覚え方のゴロが記してあったという。

  なんでも、飲み屋さんに置いてあった本に書いてあり、お酒を飲み飲み書き写されたそうだ。30年の時を経て日の目を見たゴロとは。

 

「産医師異国に向かう

3.14159265

 

産後厄無く産児御屋代に

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虫闇夜に鳴く頃にゃ」

648342795628

 

  「これを1日5回唱えていたら、3日で覚えられます」と書かれていたので、今日から3日で完璧に覚えようと思う。

 

  その前に御屋代(みやしろ)が一体何なのかわからないので調べてみた。

社の意であり、

1、神を祭る建物。神社。
2、 神の降臨する場所。土地を清めて祭壇を設け、神を祭った場所。
とのこと。

 

  そもそもこのゴロの意味もよくわからない。ゴロは得てして無理矢理になりがちだけれども、この文章もかなり力技で攻めている。産医師の周りで何が起きているのか掴みきれない。

 

  夜中に異国の神社で、産医師が赤子を捧げて祈祷でも行っているのだろうか。おもむろに火の粉の舞う松明のイメージが脳裏に浮かんできた。産医師は白装束を身につけている。少し怖い。

 

  私の頭の中の蛇口をひねり、ホースで松明めがけて水を放った。火が消えてホッとする。ずぶ濡れになってガタガタ震えている産医師の白装束を脱がせ、ユニクロで買ったチノパンとフリースを着せる。産医師は両手に手錠を嵌められ、うなだれながらパトカーに乗せられていった。

  赤子はふかふかのガーゼケットにくるみ、私の胸に抱いた。何が起きているかも知らず、スヤスヤと安心しきって寝ている。温かくて可愛い。この子は私が育てよう。

 

  円周率を覚えるはずが、はずみで養子を取ることになった。名前は円(まどか)  にしよう。

 

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タクシーの運転手さん

 

  今日はタクシーに乗る用事が多かったおかげで、面白い話が聞けた。

 

その1

「私ね、こう見えて猟銃免許持ってるんですよ。けっこう免許取るのめんどくさいし大変だったんですよ。でも、私動物が好きでしょ。だから1回も撃ったことないの。なのに、せっかく免許取ったからずっと更新しちゃうんですよ」

 

その2

「自分は1番最後の子だったから、まだこんなちっちゃい時から母親が旅館に住み込みで働きに行っちゃって、全然面倒見てもらった覚えないんですよ。だから〝全然母親だって思ってない。愛着なんてないよ〟って母親に言いましたよ。母親が歳とっても、俺は面倒みないよ、兄ちゃん姉ちゃんが見ろよって言ってたんですけど、結局自分が最後まで面倒見ました。1番近くに住んでたから仕方ないよね」

 

その3

「昔の冬はもっと寒かったよ。みんな洋服も今みたいにいいもんじゃないからペラペラの服着てさ、袖で青っ洟拭いてガビガビになってたよ。きったねぇよ、でもみんななってたから。夜も布団入っても今みたいな毛布なんかないから寒くて寒くて、自分の身体で布団の中あったまるまで丸まってさ、寒いからそりゃ寝しょんべんするよ。朝学校行くのに友達迎えに行ってさ、みんな布団干してあったよ。でも貧乏なうちの子なんかさ、着替え持ってねぇもんだからパンツもそのままなのよ。しょんべんが発酵して臭くて、お前くせぇよなんつってたな」

 

  もう顔は忘れたけれど、それぞれ生の迫力のある話だった。

 

 

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乗り間違えと乗り過ごし

 

  東京駅から新幹線に乗って三島駅で降りるつもりだった。こだまに乗ったつもりだったけれど、違ったみたい。

 東京を出てから一向に停まる気配のない新幹線に揺られ、どこまで連れていかれるのかと不安を抱えている。川がみえた。天竜川と看板に書いてある。検索した。長い静岡県をだいぶ西の方まで進んでしまっていることがわかった。

 

  やっと停まったと思ったらそこは豊橋駅。もう名古屋も目前だ。一刻も早く三島に帰らなければ。人を待たせている。

 

  けれどそこは新幹線。山手線のように次から次へとホイホイ来てくれるわけではない。はやる気持ちを持て余しつつ、待ち合わせの相手に電話をかけて謝り、遅れることを告げてやっと人心地ついた。

 

今できるのは写真を撮ることぐらいだ。

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犬も心なしか呆れ顔。

 

 

  大学時代、友達と夜通し新宿で遊んで、朝になり帰宅しようと中央線の大月行きに乗り込んだ。国分寺で降りるはずが、徹夜がたたって盛大に乗り過ごし、気づいたら大月駅に到着していた。

 

  どうして一度も目が覚めなかったんだろうと自分を訝しがりつつ、ともかく帰らねばと逆方面の東京行きに乗り込んだ。すると今度は終点の東京駅で目が覚めた。いかんいかん、またもや行き過ぎたと思い、そのまま折り返した。するとまた目が覚めたのが大月駅で…。

 

  黒ヤギさんが白ヤギさんに手紙を書いたら白ヤギさんが読まずに食べて、さっきの手紙のご用事なあに?と返信を書いたら黒ヤギさんもまたそれを食べてしまって…という歌がある。これは出口を塞がれたエンドレスループに入り込んだのだと気づいた。

 

  見つからぬ出口を探してウロつくより、違う出口から脱出しようと思い、もう中央線を折り返すのは止めた。開き直って大月から富士急行線に乗り換え、河口湖へ向かった。そうだ、私は乗り過ごしたのではなく観光に来たのだ。

 

  河口湖からバスに乗り、昔話『カチカチ山』の舞台となった天上山に登ってみた。徹夜明けの澱んだ身体に山頂でのまっさらな太陽が眩しく染み、トイレで顔を洗ってサッパリ仕切り直した。富士山はどれだけ眺めても飽きなかったけれども、さ、帰ろ。そろそろループから抜け出せる頃だろう。

 

  いま、緊張感を持ちながら東京行きの新幹線に乗っている。次は静岡駅だ。その次が新富士駅。そしてその次が目的の三島駅

  万が一にも眠ってしまって再び乗り過ごさないよう、携帯のアラームをかけた。電池の残りは7%と出ている。充電器を自宅に忘れてきてしまった。

 今日はマーフィーの法則が私の周りを乱れ飛んでいる。

 

 

※追記

帰り道に新幹線の乗車券を失くし、再び購入する羽目に

  

鵜飼の血筋

 

  仕事でお世話になっている方が、鵜匠の家系だったことが発覚した。お爺様の代まで鵜飼をされていたそうだ。ちょうどつい先日、鵜について思いを馳せていたので、不思議なシンクロを感じている。

 

  鵜飼についてにわかに詳しくなったので人に伝えたい。

 

①鵜は、その仕事ぶりから従順な性格だと思い込んでいたが、わりと気が強いそうだ。籠の中を覗き込むとガンガンつついてくるらしく、鵜飼以外の人は鵜の目を覗き込んではならぬ。

 

②鵜には川鵜と海鵜がおり、鵜飼には主に海鵜を使っている。また、繁殖した海鵜を使っているわけではなく、飛来して茨城県に来た野生の鵜を専門の職人さんが捉えて鵜飼に卸している。鵜の価格は1羽10万円ほど。

 

③鵜の首に巻きつけてある紐は、鮎を飲み込めない程度のギリギリの緩さで結んである。鮎以下の小魚なら飲み込んで自由に食べられるらしい。

 

④皇族の方々が海外の来賓を招いて晩餐会を開催する際、古代漁法として伝承されてきた鵜飼を日本の文化として紹介するため、鵜の獲った鮎を宮内庁に献上することが度々あるそう。

 

⑤鵜の獲った鮎と釣ったあゆとの違いは、鵜の嘴の跡がついているかいないか。鵜は鮎を嘴でショック死させるそうで、その方が鮎の味が格段に美味しいらしい。

 

⑥鵜飼漁の際は、ボウボウ篝火を炊くので船内は燃えるように熱い。

 

⑦鵜の通常の食事は、ほっけ。鵜匠は北海道から冷凍のほっけを大量に仕入れており、いつもバケツ一杯にほっけが入っている。

 

⑧鵜飼のシーズンは5月から9、10月あたりまでと短い。それ以外の季節は他の仕事をし、だいたいみな兼業鵜飼をしている。

 

  他にももっといろいろなことをお聞きした気がしつつ、今思い出せるのはここまで。

 そのお話をしてくださった方は、その日全身紺色、その息子さんは全身黒の洋服に身を包んでいた。たしか鵜飼の衣装は全身黒か紺に腰蓑というスタイルだったはず。さすが鵜飼の末裔だ、血は争えない。

  「 時代が時代だったら、私も鵜飼だったんですよ」と去り際におっしゃっていた。

 

  ひとりになってから、もし私の祖父が鵜飼だったら…とできる限り具体的に想像してみた(本物の祖父はフーテン)。脈々と続いてきた伝統の末端に自分が存在しているという誇りと、その伝統を継がなかった父への肯定とも否定ともつかない複雑な思い、翻って自分も隔世で継ぐ可能性が数パーセントでもあることによるかすかな重責を感じた。

 

 たぶん私も鵜飼を継がなかっただろう。ほかにしてみたい仕事がある、鵜が少し怖い、生涯仕事仲間が鵜だけなのは少しつまらない、何度も鵜の死に立ち会うのが辛い、都会に出て暮らしてみたい…継がない理由がつらつらと浮かんできたが、一番の理由は冷え性だからだ。とにかく鵜飼は素足にワラジで水に濡れて寒そうに見える。

 

  ただでさえ冷え性なのに、鵜飼になったらしもやけが悪化し、唇も慢性的に紫色になってしまうに違いない。寒い時期など、行きたくなさすぎて寝込んでしまいそうだ。

 

 冷え性だ?そんな軟弱で軽薄な理由で代々続いてきた偉大な伝統を途絶えさせるつもりか?と見知らぬ誰かに胸ぐらを掴まれそうなので、継がない理由は1番もっともらしいものにしたい。

 

  NPO法人を立ち上げたい、医者になりたい、地質学の研究者になりたい、宮大工になりたい、絵画修復士になりたい…。

  伝統を断ち切ってまでやりたいこととなると、並々ならぬ情熱と努力がないと就けないような、強度のある職でないと許されない気がする。人様のお役に立つというのも大前提に含まれるだろう。

  かえって荷が重くなった。こんなことなら最初から素直に鵜飼になっておけばよかった。

 

  100歩譲って鵜飼になるとしよう。そうしたら、こちらが歩み寄った分、少々融通を利かせてもらいたい。

  高校生の頃、あまりに寒いので真冬にスカートの下に体育のジャージを履いて通学していた。あんな感じで、腰蓑の下にゴアテックスのズボンを履かせてもらいたい。もちろん足元もワラジじゃなくてゴアテックスのハイカットがいい。となると、防水と防寒のために着けているらしい腰蓑がいらなくなってしまった。腰蓑取るか。

 

  あと、頭に巻いているあの布も取りたい。昔からアルバイトを選ぶ時、頭に何か巻かなければならないところは避けていた。まいばすけっと然り、コメダ珈琲然り、ステラおばさんのクッキー然り。

  髪の毛や眉毛を篝火から守るためらしいけれど、三角巾的なものは気恥ずかしいので私はキャップでいく。

 

  天然素材を脱ぎ捨て、化学繊維を見にまとった私がいくら鵜をうまく操っても、それはもはや鵜飼ではない。古代漁法の良さは、私の代で失われてしまった。

 

  

  

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ナルコレプシーへ続く道

 

  今日は、MRI検査を受けた。MRIは、筒の中に入ったあとは爆音のオンパレードだ。

ドンッドンッドンッ、プー、パパー、ダダダダダンッなぞなぞ、手を替え品を替え、中に横たわる人間にプレッシャーを与え続ける。耳栓をしてはいるけれど、とにかく騒がしい。

 

  ところが3ヶ月前にMRIを受けたとき、私はほとんど眠ってしまった。始まってしばらくして以降の記憶が途絶えている。 筒の中からスライドで引き出され、「終わりましたよ〜」と頭上のカバーを取られるその時まで意識がなかった。爆音の振動が心地良かったようだ。

 

  母にその話をしたら、あんなにうるさい中で寝られるなんて信じられないけど、いつも10秒で寝ちゃうあなたならさもありなん、というようなことを言われた。

 

  その経験から、今回は寝ないようにしようと思ってコーヒーを飲んで臨んだ。技師さんが「10分ほどで終わりますからね〜」と声をかけてくださるけれど、10分も横たわっていたら寝てしまう…と始まる前に不安になる。

  

  つまり、今回も寝てしまった。前回よりは長くもったと思うが、体感としては2分目に差し掛かるあたりくらいから、カフェインの効果も虚しく意識がない。どうして寝てしまうんだろう。

 

  夜ベッドに入ると、本当にすぐ寝ることができる。なかなか寝付けなくて困るなんてことは年に1度あるかないか。

  学生時代も、授業を受けながらよく眠っていた。いつも最前列に座るくせに度々寝てしまい、さらに悪いことに姿勢良く背筋が伸びて顔を前に向けたまま寝てしまうのだ。クラスメイトから「また先生にキスのおねだりをしてた」といってよく笑われた。先生もさぞや恐ろしかったでしょう。

 

  麻雀放浪記色川武大さんの持病として有名な、ナルコレプシーの可能性が頭をよぎる。睡眠不足でなくても予期せぬ時に突然強い眠気に襲われて寝てしまう過眠症の一種だ。

 

  “ 大事な場面でも眠ってしまうことについて「だらしない」「意欲が足りない」「真面目にやっていない」と思われ、本人や周囲が病気と認識しない場合が多くみられる”とあり、すべて自分を形容するに相応しい言葉のような気がしてますますドキッとする。

 

  なんでも1か100かということはないわけで、診断がつかなくても中途のグラデーションのそこそこの位置に自分がいる可能性は大いにある。

 

  私はまだナルコレプシーではないと思うけれど、ナルコくらいまでは行っているかもしれない。次のレに到達するまで、少なくともあと20年くらいは持たせたいものです。

 

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